ねずみ女房

Ehon18166 久しぶりのねずみ本です。『ねずみ女房 (世界傑作童話シリーズ) 』ルーマー・ゴッデン作、石井 桃子訳、ウィリアム・ペン・デュボア画、¥ 1,260 (税込)。1977年に福音館書店 から刊行。

 『鼠の嫁入り』のような日本昔話的なタイトルだが、イギリスの児童文学者の作品。なんとも古くさいタイトルだなと思っていたら、ねずみ女房の原題「mouse wife」は、housewife(専業主婦)の掛詞のよう。そういうタイトルからも察することができるような、いろいろな想いが込められているお話だ。読む人によって、様々な解釈があることだろう。
 実は、私も考え込んでしまい、この本を紹介するのに、思いがけないほどの日数がかかってしまった。その間に『ねずみ女房』について触れている、河合隼雄の『子どもの本を読む』や清水眞砂子の『そして、ねずみ女房は星を見た〈大人が読みたい子どもの本〉 』なども読んでみたのだが、その中で、矢川澄子がこの本について「堂々たる姦通賛歌」と評したことを知った。そういうとらえ方もできるし、まさに同じような印象も受けた。でも、このお話が児童文学であることを考えると、また別のとらえ方も出てくる。むしろ、この本の本質は、「姦通」という言葉を知らない子どものほうが、直感でわかるのかもしれない。

 家ねずみのねずみ女房は夫と赤ん坊の世話に明け暮れる中、夫に「これいじょう、何がほしいというんだな?」と聞かれると、「何がほしいのかわからないけれど、でも、まだ、いまもっていない、何かがほしかったのです」。ある日、野生の鳩が捕らえられてこの家の鳥籠にやってくる。世間知らずのねずみ女房は、鳩から外の世界の話を聞く。空が広がり、風が吹き、自由に飛び回る森や木々の話を。やがてねずみ女房は鳥籠の留め金を咥えて戸を開け、鳩を逃がす。鳩が飛んでいってしまうと、「もうだれも、丘のことや、麦畑のことや、雲のことを話してくれるものはなくなった」。だが彼女は鳩の飛び立った窓から、遠くの星を見た。星は家ねずみにとって、初めて見た見知らぬ遠くにあるものだったが、「でも、わたしに見えないほど遠くはない」。
 平凡な一生を送ったねずみ女房の心に秘められた、見知らぬものへの永遠の憧れ。そして、そんな女房を「ねずみ女房のあるべき場所は、巣のなかだ」と言って責めるおすねずみ……両方とも自分の中にあるものだ。「人はパンのみで生きるのものではない」し、「パンのみで生きざるを得ない」ものでもあるのだ。どちらにせよ、生きることは切ないもんだと、しみじみ思う。
 それにしても、ねずみ女房が鳩のもとに駆けつける夜の描写は、“矢川発言”ではないが、はっとさせられる。下手な恋愛小説を読むより、ずっと胸にこたえる児童文学だ。

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今日のもう1冊

02994232 「文藝春秋」別冊と同時にAmazonから届いたのが、椎名誠の「『十五少年漂流記』への旅」新潮選書。これは朝日新聞の出版広告を見て、久しぶりに胸の高鳴りがとまらなかった1冊だ。そのわけは、私の無駄に長いプロフィールにあるとおり、小学生時代に最大の衝撃を受けた本が、近所の古本屋で見つけた講談社の少年少女世界名作全集『十五少年漂流記』(ベルヌ原作、小林正訳)だったのだ。この本が、それから今日まで続いている私の“本と本との日々”の原点でもあるわけで、椎名さんの新刊書のタイトルを見たら、興奮せずにはいられない。これからじっくり読みます! 嬉しすぎ!!

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今日の1冊

515xzurdwxl_ss500_ 10日ほど前に、エッセイの原稿を素読みをしていて、画家の石井一男さんを知る。石井さんの歩んできた道と描いた絵とに猛烈に惹かれ、情報収集。
 「文藝春秋」の4月臨時増刊号に記事が載っていることを知り、書店注文では入手するのに時間がかかりそうなので、ネットで探す。ほとんどが売り切れだったが、唯一、Amazonは2日で届いた。
 石井さんの記事がお目当てだったが、なんとこの号の特集は「もうひとつの京都」。しかも「隠れた名所 古本屋をハシゴする」というページがどーんとあるではないか! アスタルテ書房も水明洞も其中堂も載っているし、新刊書店だけど恵文社一乗寺店も三月書房も紹介されている。あ〜、猛烈に京都に行きたくなる(来週、行くんだ、ふふふ……)。
 でも、書店が好きなのに、欲しい本は書店よりネットの方が早く簡単に入手できるからと、ネットで買って、しかもその本が書店特集というのも、なんか矛盾しているというか、皮肉というか……。
 とにかく、石井さんの記事も読めたし、絵も(印刷物だが)見ることができた。今、とても石井さんの絵を見てほしい人がいるので、もう1冊、この号をAmazonに注文する。

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宮沢賢治のねずみ2「氷河ねずみの毛皮」

41dxhwiu7l_ss500_ 「このおはなしは、ずゐぶん北の方の寒いところからきれぎれに風に吹きとばされて来たのです。」で始まる、宮澤賢治の童話『氷河ねずみの毛皮』。春爛漫、桜満開のこの時期にあわないタイトルだが、賢治の童話に出てくるねずみ本ということで、ご紹介。
 12月26日の夜8時、お馴染みのイーハトヴの町から極北にあるベーリング行の列車に乗った人々の物語。賢治らしい幻想的な世界の中で、他者の犠牲の上に生きている人間の愚かさが描かれている。
 15人の乗客の中でも、「毛皮を一杯に着込んで、二人前の席をとり、アラスカ金の大きな指環(ゆびわ)をはめ、十連発のぴかぴかする素敵な鉄砲を持つていかにも元気さう」なタイチという男は、ラッコやビーバーや黒狐の外套を重ね着している上に、「氷河ねずみ450匹の頸(くび)のとこの毛皮だけで作った上着を着込んでいる。さらに、この列車に乗って黒狐の毛皮900枚分の狩りをしようと企んでいる。
 エコロジーを心がけよう、地球の自然破壊、環境破壊をなんとか食い止めようと、ようやく考え出した平成人にとっては、許し難い、吃驚仰天なおじさん! もっとも、この物語が書かれた大正時代(初出は大正12年の「岩手毎日新聞」)だって、とってもアブナイ人だったらしく、「こんな馬鹿げた大きな子供の酔どれをもう誰も相手にしませんでした。」と、賢治に切り捨てられている。
 しかも、夜が明け、ベーリングに近づいた頃、タイチをはじめ毛皮を着た乗客たちは、ピストルを持ったテロリストたちに襲われてしまう。さて、このテロリストたちとは……?
 テロリストたちに対峙した乗客の「生きてゐるにはきものも着なけあいけないんだ。おまへたちが魚をとるやうなもんだぜ。けれどもあんまり無法なことはこれから気を付けるやうに云ふから今度はゆるして呉れ。」という一文に、賢治の想いが込められている。

 本物のねずみがでてくるわけではないが、「氷河ねずみの毛皮」という、賢治独特の言葉のマジックのようなタイトルが、とても印象的な童話だ。
 本作は1980年に筑摩書房 の『新修宮沢賢治全集』第13巻に「氷河鼠の毛皮」として収められているが、木内達朗の中世の油彩画を思わせるような、光りと影の対比が幻想的な美しい絵によって、絵本としても発表されている。
 私が読んだのは、1993年に冨山房から刊行された『氷河ねずみの毛皮』だが、これは絶版になったらしく、今春、偕成社から『氷河ねずみの毛皮 (日本の童話名作選)』 1,680円(税込)が刊行されている。

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宮沢賢治のねずみ

Tuenezumi 宮沢賢治の作品の中で、ねずみがタイトルになっている作品は4点ある。どれも童話なのだが、私は今回、初めて読んだ作品ばかりだった。
 賢治はイソップのような寓話を数多く作っており、いろいろな動物が主人公となっているが、ねずみはその中でも、いつも嫌われ者といった役どころばかり。岩崎書店から1978年に刊行された『新版宮沢賢治童話全集〈1〉ツェねずみ』には「鳥箱先生とフウねずみ」「ツェねずみ」「クンねずみ」の3つの短編が載っている。
 フウ、ツェ、クンという名前がとても可愛らしいのだが、残念ながら3匹とも嫌〜な性格のねずみたち。

 フウは鳥箱(厚い板でできた、鳥を入れる箱!)が先生となって教育しようとするが、小心者の怠け者で、先生を怒らせる。もっと、鳥箱先生もうんざりするような俗物で、猫大将に「先生もだめだし、生徒も悪い。先生はいつでも、もっともらしいうそばかり云ってゐる。生徒は志がどうもけしつぶより小さい。これではもうとても国家の前途が思ひやられる。」と言われる始末。猫大将の言葉は、21世紀の現代にもぴったり当てはまって、なにやら情けない……。

 ツェは自分勝手で図々しく、相手の好意を逆恨みし、いつも「私のような弱いものをだまして。償(まど)うてください。償うてください。」と相手に詰め寄り、周囲から嫌われる。この「償うてください」というフレーズは、読後かなり耳に残った。私もいつも心のどこかでこの言葉を呟いているのかもしれない。
 ツェは、とうとう“ねずみ捕り”のワナに掛かってしまうが、まったくの自業自得で同情の余地はない。

 クンは、高慢でそねみ深く、自分はねずみの中で一番賢いと思っていて、「エヘンエヘン」といばってばかり。「ねずみ競争新聞」を愛読しているのだが、この新聞に「天じょううら街一番地、ツェ氏は昨夜ゆくえ不明となりたり。」という記事が載っていたりするところが、なんとも可笑しい。
 クンは“ブンレツ者として暗殺される”ことになるのだが、猫大将に4匹の子猫を教育しろと命令される。結局、子猫に食べられてしまい、「何か習ったか。」と聞いた猫大将に、子猫たちいわく、「ねずみをとることです。」! ブラック!!

 3編ともとても短いお話なのだが、なんとも情けないねずみたちばかり。この中で、ツェねずみは三木由記子の絵で『ツエねずみ (宮沢賢治どうわえほん) 』となっている。1986年、講談社より刊行、1,680円(税込)。
 賢治の作品は数多くの絵本となっている。“言葉とイメージの魔術師”と言われている賢治の作品だからこそ、絵でその世界を表現してみたいと、画家たちの創作意欲を刺激するのだろうが、この煮ても焼いても食えないような「ツエねずみ」を、どうやって子ども向けの絵本にするのだろうと、興味深かった。
 表紙はパステルトーンの金平糖を手にした、潤んだ大きな瞳の可愛らしいねずみが描かれている。テーブルの上のロウソクは、手をかざすと暖かさが伝わってくるような、明るい光りをたたえ、読者を愛らしいおとぎの世界に誘っているかのようだ。
 でも、ページを開くと、中扉のツェの目が……ずるい。真っ暗な“床下街道”で出会う、いたちとツェの目は、獣そのものといった怪しい光りを湛えている。
 東京芸術大学美術学部工芸科卒という三木由記子の絵は、柔らかなトーンの中に女性らしい細やかさがあり、可愛らしくて、とってもおしゃれだ。でも、愛らしいねずみの表紙絵に惹かれて、心温まるお伽噺を期待しながらページをめくったりすると、ちょっとショックをうけるかも。最後のページ、哀れにも人間に捕まってしまったツェを、壁の穴の向こうから見送る、喪服姿のねずみたち……こういう視覚的な表現は、さすがに絵本作家ならではのもの。でも、この可愛らしい体裁の絵本の、全編に通奏低音のように流れる怖さは、ちょっとあなどれません。
 子どもたちはどんな感想をもったのか、聞いてみたいな。

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イソップのねずみ

Isoppu 日本の民話にもねずみはたくさん登場するが、外国の民話や童話にも、負けず劣らず、ねずみの話は多いようだ。中でもたくさんおねずみの話が詰まっているのが、『イソップ寓話集』。 中務哲郎訳の岩波文庫は1999年に刊行、798円(税込)。
 イソップ寓話は紀元前6世紀に古代ギリシアの寓話作家で奴隷だったアイソーポスによって作られたと伝えられている。日本では英語の Aesopからイソップと呼ばれている。

 なにしろイソップは子どもの頃に読んだきりで、今回、本当に久しぶりに手にとってみた。というより、大人になってイソップを読むのは初めてなので、子どもの頃とは全然違う感覚で読むことができ、とても新鮮だった。中務訳の岩波文庫はギリシャ語の471話が全訳されている(原典には他にラテン語の寓話が254、さらに「その他」があるらしい!)。
 その中でねずみの話は、第1部の79「猫と鼠」、146「鼠に怯えたライオン」、150「ライオンと鼠の恩返し」、165「鼠と鼬(いたち)」、197「蛇と鼬と鼠」、第4部352「田舎の鼠と町の鼠」、353「鼠と牛」、354「鼠と鍛冶屋」、第5部384「鼠と蛙」、第11部427「狐と針鼠」、454「鼠と牡蠣」などがある。
 イソップ寓話は、日本でも16世紀の終わりから17世紀始めに『イソポのハブラス』や『伊曾保物語』として訳され親しまれているが、中でも、「田舎の鼠と町の鼠」と「ライオンと鼠の恩返し」は、誰でも一度は読んだことがあるのではないだろうか。今でも「イソップ物語」や「イソップ童話」などの子ども向けの物語集には必ず入っているし、単独で絵本になったり、アニメになったりしている。

Matiinakagarudon 特に「田舎の鼠と町の鼠」は様々な脚色がなされ、世界中でいろいろな絵本が生み出されている。
 『まちのねずみといなかのねずみ―イソップ寓話』は、ハンガリー生まれでアメリカに渡って300冊近くの絵本を描いた人気作家ポール・ガルドンの作、木島始の訳で1979年に刊行され、1997年、童話館出版より再刊。1,230円(税込)。
 ある日、平和だが退屈な田舎に住むねずみを訪ねた町のねずみは、自分の住んでいる町の王様の宮殿にはごちそうがたくさんあると、田舎のねずみを誘う。宮殿にはクリームあり、ジェリーあり、ケーキありと、あらゆるごちそうが一杯あったが、犬や猫や召使いなどがいて、危険も一杯……。
 ポール・ガルドンの色鮮やかな絵は、シェークスピアの劇中人物のようなコスチュームプレイの衣装をまとっていて面白い。それにしても、やっとのことで家に帰ってきた田舎のねずみが、最後のページで、すやすやベッドで眠っている姿に、こちらもほっとする。やっぱり、我が家が一番、つくづくそう思う。
 
Tokainonezumi 『とかいのネズミといなかのネズミ (児童図書館・絵本の部屋)』は、ケイト・サマーズの文、マギー・ニーンの絵、まつかわ まゆみの翻訳で、1998年、評論社より刊行。1,365円(税込)。
 こちらのねずみには、名前がついている。田舎のねずみはティリー、友だちの都会のねずみはミリー。名前からわかるように、女の子のねずみたちなので、ままごとのような細々とした描写が楽しい。牧場での花摘みや、ミリーの家が人形の家だったり、いかにも女の子が好みそうなシチュエーションが用意され、美しくソフトで優しげな水彩画で描かれている。
 ここでの最後の場面は、田舎の家に帰ったティリーがソファーでくつろいで、あたたかいお茶をいただくシーン。これもやっぱり、見ているこちらもほっと安らげるシーンとなっている。

Lionnezumiwattsu 「ライオンと鼠の恩返し」の方は、『イソップのライオンとねずみ』というタイトルで、イギリス生まれの人気絵本作家バーナデット・ワッツの再話と絵、ささきたづこの訳で、2001年、講談社から刊行、1,680円(税込)。
 こどもライオンが捕まえた小さなねずみを離してやる。「わたしの助けがいるときには、いつもで呼んでください」と、小さなねずみは言うが、ライオンは笑って相手にしない。ところが、大人になってライオンの王様になった時、罠に掛かったところを助けてくれたのは……。
 見開きのページいっぱいに、熱帯の植物や動物が黄色を使って格調高く描かれている。「ここはいちねんじゅう あつい くにです」という一文もある。イソップというとギリシャのイメージが強いのだが、これはまさに、ライオンのいるアフリカのお話だと思わせてくれる。
 ワッツはこの他にも、『きたかぜとたいよう』『イソップのお話から』など、イソップ寓話の世界を巧みに絵本で表現している。

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おむすびころりん

 ねずみが出てくる昔話といえば、「おむすびころりん」は外せない。実は私が子どもの頃、一番好きな絵本も「おむすびころりん」だった。
 今はその絵本も手元にはないので、作者が誰だったかわからないのだけど、穴の中でねずみたちが賑やかに宴会の支度をしている絵が大好きだったのだ。それにタイトルの「おむすびころりん」や文中にでてくるねずみたちの歌が、なんともユーモラスで語呂がいいのも、好きになった理由の一つだろう。
 「おむすびころりん」は「ねずみの嫁入り」同様に、日本全国で伝承されてきた昔話で、そのタイトルもお話の内容も様々なパターンがある。ここでは、その代表的なものを紹介していこう。

Yodajunichijpg まずは正統派(?)タイトルの『おむすびころりん―日本むかし話 』よだ じゅんいち(與田凖一)の文、わたなべ さぶろうの絵で、1967年、偕成社より刊行、1,050円(税込)。

 絵本の最後にある與田準一(氏名の表記は1982年24刷に従ったが、与田と表記することが多いようだ)の解説によると、「おむすびころりん」は「はなさかじじい」や「こぶとりじじい」などと同じで、二組の老夫婦が隣同士で暮らしていて、善良無欲な夫婦は幸せになり、強欲無慈悲な方は失敗するという、“となりのじじい”型に分類されるそうだ。

 お話の方は、おじいさんが山でおむすびを食べようとしたら、ころころところがって穴の中に落ちてしまう。穴からは「おむすび ころりん すっとんとん」というねずみの歌声が聞こえる。おじいさんが穴の中に入ってみると、おむすびをもらったお礼にと、ねずみたちに歓待される。それを知ったとなりのおじいさんも、おむすびをころがして穴に入るが、ねずみの嫌う猫の鳴き声をあげたため、穴の中は真っ暗闇になる。暗い穴の中で土を掘りながら家に帰ると、おじいさんをもぐらと間違えた隣のおばあさんは、棒で叩いてしまう。
 「おむすび ころりん すっとんとん」というリズム感のある言葉遊び(実は呪いらしい)や、勧善懲悪のはっきりしたストーリー展開など、昔話の面白さが満載された、典型的な「おむすびころりん」だ。渡部三郎の絵も、太くてはっきりした線で、善者、悪者のかき分けも明快。人間の二面性をよく捕らえながらも、どことなくユーモラスな雰囲気をたたえた絵だ。

 同じタイトルでも、筒井敬介の文、菊池貞雄の絵による『おむすびころりん―日本むかし話』は、特異な展開となっている。1979年に刊行され、2000年に講談社創業70周年記念出版として刊行。このじさまとばさまには子どもがいない。ねずみにもらった打ち出の小槌によって、ふたりは若返り、男の子が生まれている。

Kororinbasama 松谷 みよ子の文、長野ヒデ子の絵による『おむすびころりん (松谷みよ子むかしむかし) 』は、女性コンビらしく、主人公もじいさまからばあさまに代わっている。2006年、童心社から刊行、1,155円(税込)。
 山仕事をしているじいさまのところに、ばあさまがおにぎりを届けに行くが、山道を登っている途中でころんでしい、「おむすび ころりん すっとんとん」といつものごとく(?)ねずみの穴に落ちてしまう。以下の展開は男女が入れ替わっただけで同じなのだが、隣のばあさまは、真っ暗になったねずみの穴で小判をさがしていうるちに、モグラになってしまう。「これでおしまい しゃん しゃん」。色鉛筆で描かれたマンガチックな絵が楽しい。

Tenpatanjpg 『てんぱたんてんぱたん ねずみのもちつき』の「てんぱたん」は、ねずみが唄う餅つき歌。梶山俊夫の再話と絵によるこの絵本は、語りが面白く、「ねずみが ちょろりとあなから かおだした」「いとしべな こだ ねぇか」「ぜんこ まで どっさり もたせたと」など、東北地方の方言をうまく取り入れた独特のリズムがあり、なんともほほえましく、懐かしい感じがする。1995年、福音館書店より刊行、1,155円(税込)。
 このお話では、むすびが転がって穴の中に落ちるのではなく、お爺さんが食べようとしていると、穴からねずみが顔を出したので、「な(おまえ)も くうか」と言って、むすびをねずみの穴に落としてあげたことから、ねずみの恩返しが始まる。以下は他の昔話と同じ展開。

Nigirimesigorogoro_2 かなり男っぽいタイトルの『にぎりめしごろごろ (こどものとも傑作集)』は、 小林 輝子が再話、赤羽末吉の絵で、「こどものとも」1984年1月号に掲載され、単行本は1994年、福音館書店より刊行、 840円(税込)。
 じいさまのおむすびは、ねずみの穴に落ちるのではなく、お堂のお地蔵さまのところにころがって、供えられていた。お地蔵様はじいさまに、お堂の天井に隠れろと告げる。やがて夜中に大勢の鬼が集まって酒盛りを始めた。じいさまが「コケコッコー」と一番鶏の鳴き真似をすると、鬼はあわてて逃げてしまい、じいさまは鬼の宝物を手に入れる。これを知った隣のじいさまとばあさまは、自分たちも宝物を手に入れようと真似をするのだが……。

 お話の展開は「おむすびころりん」とほぼ同じだが、横長の判型を活かした、無駄のないダイナミックなレイアウト、絵の持つ力強さなど、やはり赤羽末吉の絵のインパクトが大きい。とくにびっくりするのは、物語のお終いで、隣のじいさまの帰りをまっていた強欲なばあさまは、じいさまが鬼から豪華な着物を奪ってくるだろうと、それまで着ていた着物を脱いで、腰巻き1枚になって、今か今かと待っているのだ。う〜ん。ばあさまの腰巻き1枚の
絵、もう、大爆笑です! その姿形もさることながら、裸になって待っている、その女心(泣)。昔も今も、女の着る物への執念はおんなじなんだなぁ……。

Teduka さて、お題のねずみに戻ると、タイトルはずばり『ねずみじょうど』、1988年、河出書房新社より刊行、1,631円(税込)。
 なんと、この絵本の著者は、手塚治虫! 「手塚治虫のえほん館」として、4冊刊行されているうちの1冊で、ほかに「かたはぐるまのはなし」「えきほすのはなし」「いばら姫(グリム童話より)」の4話が収められている。私は手塚治虫が自分のマンガを絵本にしたもの以外に絵本を創っていたとは知らなかったので、これは入手しなければと思ったのだが、残念ながら絶版。ネット古書店で購入した。500円(税込)+送料。

 仕様はA4横長サイズのハードカバーで全32ページ。右開き。文字は縦組み。見開きの左ページに文、右ページに絵で、計10ページにまとめられている。装幀は吉池遊・田澤司。表紙カバーも見返しもピンクの、ソフトなイメージの絵本だ。

 お話は「おむすび」も「ころりん」もなく、「よいおじいは、毎日、へっついのよこのねずみのあなへ、米つぶを入れてやっとった。」するとその穴からねずみが出てきて、蛇がねずみを食べるので退治してほしいと頼まれる。よいおじいは、馬に乗って蛇を退治し、ねずみから宝物をもらう。それを聞いた隣のわるいおじいも、まねをして蛇退治に出かけるが、蛇に馬ごと飲み込まれてしまう。「すっかりおしまい、どっとはらい。」で物語は終わる。

 短いお話な上、絵も、ちょっと物足りない……。ねずみや馬や蛇などは、さすがに手塚マンガで見慣れた華麗なタッチだが、けれど、“作者が手塚治虫でなくてはならない”という物を、この絵本から見つけることが、私にはできなかった。やっぱり手塚治虫はマンガの人なのだと思い、なぜわざわざ絵本を創ったのだろうと考えていたら、本扉の裏に、短い英文が書かれていた。

 それによると、これらのお話は、祖母から母へ、母から幼い自分へと語り継がれた、日本と西洋の動物に関する民話を思い出しながら、それを絵本にしたものらしい。そして、いつの日か、このお話を自分の孫に語ってあげたかったと書いている。英文の最後には、「この絵本を、自分に空想力とストーリーテラーとしての力を与えてくれた、亡き母に捧げる」とある。

Joudo もう1冊の『ねずみじょうど (こどものともだ )』は、瀬田貞二の再話、丸木位里の絵で、1967年の「こどものとも」に掲載され、1971年に福音館書店から28ページのハードカバーで刊行、840円(税込)。
 丸木位里は「原爆の図」で知られる日本画家だが、絵本も何冊か描いており、『ねずみじょうど』はその代表作といってもよいだろう。

 じいさんは、ここでは蕎麦粉をこねた蕎麦餅をねずみの穴に落としてしまう。あとはいつもの展開。じいさんがねずみのくれた餅と黄金をどっさり入れた袋を持ち帰ったのを知った、隣のめくされじいさんが真似をするが、猫の鳴き声で暗闇となった穴の中で黄金をさがして土を掘り進んでいるうちに、モグラになってしまう。それで、モグラはいつまでも、土の中で出口をさがしている。「これで、とっぴん はらいの ぴい」。
 とにかく、丸木位里の絵が素晴らしい。彼でなければ描けない絵本であり、一目で彼の絵とわかる、個性が生かされた本だ。墨絵を使っているのだが、墨の色が土の中の暗闇を強調し、人やねずみが素朴に描かれ、民話らしい人のぬくもりが伝わってくる。ただ、墨の醸し出す雰囲気は、子どもには少し、親しみがもてないかもしれない。

Fukubekko 最後の1冊は、丸木位里の妻、丸木俊の絵、松谷みよ子の文による『ねずみのくれたふくべっこ 』。この本は1980年に第一法規出版から刊行された「日本の民話絵本」シリーズの秋田県篇を改訂し、2000年に童心社より刊行、 1,470円(税込)。
 「むかし、じさとばさがいて、まいあさごせんぞさまにお水をあげておった。」で始まるお話は、おむすびではなく水であることがキーポイント。この水をねずみが飲むので、ばさはねずみが飲めないように、水を熱いお湯にかえた。すると年寄りの“よぼよぼねずみ”がやってきて、お碗の中のお湯を温泉代わりにつかってしまう。じさはねずみからお礼にと「ふくべっこ(ひょうたん)」を貰う。じさがふくべっこの中を覗いてみると、そこはねずみの御殿で、じさは毎晩、その中に通ってねずみに歓待される。ところが、ばさがふくべっこに、辛い南蛮味噌を詰め込んでしまい……。

 これまでの「おむすびころりん」とはかなりちがったお話なのだが、これが抜群に面白い。まず、“となりのじじい”型でなく、夫婦の話になっていて、夫婦の微妙な心の綾が描かれている。ふくべっこの中でねずみに足や肩を優しく揉んでもらい、「ばさとちがうな」と漏らすじさ。毎晩帰りの遅いじさに、面白くないとヤキモチを焼くばさ。お話の最後には、人間が侵した環境破壊を描き、まさに現代への警告のようなものまで感じさせ、ドキリとさせる。昔話ではあっても、松谷みよ子ならではの力量を感じさせるお話に仕上がっている。
 丸木俊の絵は、夫である丸木位里にどことなく似ている雰囲気を持ちつつ、墨絵とは違った赤が印象的な洗練された色遣いで、ふくべっこの中にある摩訶不思議な異境へと誘ってくれる。
 それにしても、お碗の湯船につかっている年寄りねずみの、何と気持ちよさそうなこと!

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 はぁ〜、長くなってしまいました。これで、「おむすびころりん」篇はおしまい。
 ここまで「おむすびころりん」にお付き合いいただきまして、ありがとうございます。

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ねずみのおよめいり

Panchatantora 昔話「ねずみの嫁入り」は日本全国で語り継がれているが、その源流は、古代インドの書物『パンチャタントラ』にあるらしい。残念ながら『パンチャタントラ』は読んだことがないのだが、『パンチャタントラ物語』が出版されているようなので、“読んでみたい本”リスト入り。

 インドから広まった「ねずみの嫁入り」話は、その後、中国、朝鮮半島を経て、日本に伝わってきたようだ。そのため、日本版以外にも、各国版の「ねずみの嫁入り」話がある。今回はそのご紹介。

Oyomeiri 鮮やかな赤色と煌びやかなイラストが印象的な『ねずみのおよめいり』は、中国に伝わる昔話をもとに、台湾に生まれ、筑波大学で民話と児童文学を研究したモニカ・チャンが原作を書き、台湾生まれのレスリー・リョウがイラストを担当、台湾で幼児教育を学び、日本に留学して児童文学を学んだ高佩玲(こう はいれい)が翻訳した絵本(氏名の表記は絵本の奥付に従った)。1994年、河出書房新社より刊行、 1,680円(税込)。

 お話はほとんど日本版と同じパターンだが、講談社の『鼠の嫁入り』では忠助という名の鼠が、アランという2枚目っぽい名を付けられ、猫と共に重要な役割を担っている。「中国の伝統的な農村とその生活が細部までていねいに描かれている」と、訳者の高佩玲が書いているように、弁髪姿のねずみなども登場し、あまり接することのない古い中国の風俗が興味深い。
 レスリー・リョウの描くねずみは、とても可愛らしいのだが、見開きで描き込まれた絵を良く見ると、ところどころに、ゴキブリやハエや青虫がいる……それもリアルな姿で。苦手な人は要注意。

Kankokumukasibanasi_2 韓国では「ねずみのおむこさん」という話が、『韓国のむかし話  おどりをおどるトラほか』というアンソロジーの中で取り上げられている。
 著者の崔仁鶴は、ソウル慶熙大学大学院を経て東京教育大学大学院で文学博士号(民俗学専攻)を得た学者。偕成社からは1989年版と2002年版 (オンデマンド版)が刊行されているが、現在は絶版となっているようだ。私は図書館で読むことができた。
 お話は、貧しい三姉妹が結婚相手をさがす旅に出て、上の姉二人はそれぞれふさわしい男と出会う。ところが末娘は鼠の王様の屋敷に迷い込み、王様と暮らすことになる。5年後、姉妹は父親の元にもどって再会するが、末娘は花婿がねずみだとは恥ずかしくて言い出せない。三人は花婿の作った餅や布を持ち寄るが、ねずみの王様が持たせた物が一番立派だった。ついに、父親に花婿を会わせることになり、王様もネズミたちに駕籠を担がれて出かけるが、途中で川に流されてしまう。末娘がやさしかった王様を思い出し、花婿がねずみだと言い出せなかったことを後悔すると、その真心が天に通じ、王様は金の冠を被った人間の若者に生まれ変わり、川の中から現れる。めでたし、めでたし……というもので、忠清南道・天原での採話となっている。

 韓国の話と男女が入れ替わるのが、ロシアの北西部、フィンランドと国境を接するカレリア地方に伝わる『ねずみの王女』。ロシア民話の研究家で口承文芸学会会員の斎藤君子の文、二俣英五郎の絵で、世界みんわ絵本として、ほるぷ出版から1992年に刊行。 1,478 円(税込)。
 このお話は男性版シンデレラとでもいうべきもの。三人兄弟の末っ子は、何をやらせてもどじばかりで、父親は冷たく当たっていた。三人は花嫁をさがす旅に出るが、父親は上の二人の兄たちには立派な服と馬を与え、末っ子には何も与えない。末っ子は森の中の小屋でねずみと出会う。この後は、「ねずみのおむこさん」とほとんど同じパターンで、ねずみの花嫁が乗ったクルミの馬車が川に落ち、ねずみは美しい王女となって甦る。

 どちらの話も、結婚相手を探す旅に出た三人兄弟(姉妹)の末っ子が、ねずみに姿を変えられていた王(王女)と結婚するなど、類似点が多い。ちょっと違っているのは、主人公たちがねずみと結婚した理由。片や末娘がねずみの王様の屋敷のごはんをぜんぶ食べてしまった”からで、一方は「わたしを、あなたのおよめさんにしてください」と言ったねずみがあまりに可愛いので、“ついウンと言ってしまった”という、とぼけた理由に大笑い。

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ねずみのよめいり

 今年は毎月、「今月の特集」として、テーマを決めてお薦め本をご紹介していこうと思います。自分で読んだことのある本をご紹介することが基本ですが、本好きの友人知人が薦めてくれる本や、未読だけどこれから読んでみたい本などもご紹介できればと思っています。
 クリスマス本の特集の時にも思ったのですが、一応、事前にご紹介する本の構成を考えてはいても、その時の気分で思いつくまま本を並べてしまうので、当初の予定とはかなり違ったラインナップとなります。その意外性が面白く、ご紹介する本を調べていくうちに、新しい本との出会いや思いがけない発見などもあり、それもまた楽しみです。
 第1回は、2008年の干支「子」を記念して「ねずみ本」。
 今まで特にねずみを意識して本を読んでいたことはなかったのですが、探してみると、ねずみが主人公であったり、重要な役割を担う本がとても多く、びっくりしました。古くから人間の生活に密着した動物だからか、特に、昔話や童話にはネズミが主人公のものが多いようです。その中から、新年らしく、おめでたいお話を。

Kanaidaetuko 『ねずみのよめいり』は、誰でも一度は読んだことのある日本を代表する昔話なので、絵本もたくさん種類がある。その中で、大人も楽しめそうなのが、この絵本。かないだえつこ(金井田英津子)絵、おざわとしお(小澤俊夫)再話。2007年12月、くもん出版より刊行。 1,680 円(税込)。
 できたてほやほやの本で、私の手元に届いたのも今日。ページをめくるたびにインクの匂いが漂ってくるほどだ。たくさんの絵本の中で、この本を紹介できることがとても嬉しい。というのも、「ねずみのよめいり」の絵本は多いのだが、お嫁さんが出てくるためか、子ども向きの可愛らしい絵がほとんどで、どうもぴんと来るものがない。あれこれ迷っているうちに、金井田英津子が手がけた絵本が昨年末に出ていることに、ようやく気がつき、あわててネット書店に注文し、今日に間に合った次第。

Nekomati 金井田英津子は版画家で、彼女が手がけた絵本を初めて見たのは、パロル舎から出ている萩原朔太郎の『猫町』だった。それは“夢現・無限のめまい町”、朔太郎の「猫町」の世界を、完璧にビジュアル化していた。本文もさることながら、その絵が醸し出す不思議な世界にぐんぐん引き込まれて、これは本当に猫の精霊に取り憑かれてしまったのかもと、恐ろしくなるほどだった。
 『ねずみのよめいり』は、さすがに『猫町』ほどシュールではないのだが、押さえた色遣いで細かく描き込まれた鉛筆画と、対照的に大胆で個性豊かな版画が、やはり素晴らしい。日本人の心の原風景とでもいえるような町家や農村の佇まいに郷愁を誘われ、唐草模様にねずみが絡む表紙絵やカバーも面白く、大人もたっぷりとと楽しめる絵本に仕上がっている。
 お話は、可愛い娘のために最高の結婚相手を探そうと、父ねずみが世界中で一番偉い太陽のもとへ行く。しかし、太陽は自分よりもっと偉いものがあると言う。めぐりめぐって、最後に娘ねずみがお嫁入りしたのは……。和歌山県で語り継がれている「鼠の聟取り」をもとに再話したものと、奥付に書かれている。

Yomeirikoudansya 昭和初期に一世を風靡した「講談社の絵本」の復刊シリーズにも、ねずみの嫁入りがある。2002年に刊行された新・講談社の絵本『鼠の嫁入と文福茶釜』だ。米内穂豊/絵、石井滴水/文で、1,575円(税込)。
 米内穂豊(よないすいほう、1893-1970年)は講談社の絵本を数多く手がけ、格調ある絵巻物的な作風で人気があった。この復刻版でも、江戸時代(であろう)の風俗や家具調度品が丁寧に描かれている。特に、擬人化されたねずみの表情や仕草がとてもリアルで、着物の柄や着付け、帯結びなどにも細かい配慮が行き届いている。祖父母や親の世代が読んだであろう本を子や孫が読めるのは喜ばしいし、当時に描かれた風俗を知ることができて、復刻絵本はとても貴重だと思う。
 けれども残念なことに、私はここに描かれているねずみたちがちょっと苦手。これはまったく個人的な好き嫌いなのだが、顔はねずみなのに、手足は人間の形をしていて、しっぽがないからだ。動物が擬人化されているのはいいのだけれど、手足が人間というところに違和感があって、怖い。ミッキーマウスだって、白い手袋をして大きな靴を履き、動物を擬人化したときの手足の微妙さをカバーしている……。
 テディ・ベアでも同じで、縫いぐるみでもイラストでも、たいていのクマには目尻がさがってしまうのだけど、イギリスの有名なクマのキャラクター「白クマのルパート」だけはだめ。この穂豊のねずみと同じく、顔はクマ(しかも妙に表情が人間ぽい)なのに、手が人間なのだ。これさえなければ、講談社の復刻絵本もルパートも、手元に置きたいのだけど……。

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今日の1冊

51b0px7p5ql_ss500_ 28日の日中は仕事部屋の大掃除をするつもりで、雑誌類はスクラップする物と捨てる物に分けて整理して、と決めていたのに、またまた雑誌を1冊、増やしてしまった……!
 年賀状を買いに入ったコンビニで見かけたブルータス。「読書計画2008」。こういう特集には弱い。目次の「本と出会う場所。16のカフェ、ばー、書店」という文字にやられてしまった。買って後悔はありませぬ。多分、きっと……これから読むんだけど。マガジンハウス、特別定価550円。

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クリスマス

 The Spirit of Christamas is Peace,
 The Joy of Christmas is Hope,
 The Heart of Chrisitas is Love.

 クリスマス、おめでとうございます。信者ではありませんが、クリスマスという言葉に込められた、平和や希望や愛は人類共通の願い。そうした願いが込められたクリスマス本をご紹介できて、楽しい25日間でした。いえ、いえ、準備の期間を考えると、第1回を終えた昨年のクリスマスから1年間、クリスマス特集のことを考えると、ずっと楽しい気分が続いていました。
 では、クリスマス特集の最後の1冊をご紹介します。

Cooneyxmas バーバラクーニーの本は昨年も何冊かご紹介したが、今年は嬉しいことに、新刊が出た。その名もずばり、『クリスマス』。原書は1967年に出版されているようだが、邦訳は初めて残念なことに、作者のクーニーは2000年に亡くなっているのだが、まだ日本で紹介されていない絵本があれば、これからもぜひ刊行してほしい。
 安藤紀子の訳で2007年11月に長崎出版から刊行、1,575円(税込)。

 クーニーは様々な作家の原作に絵を描いているが、『クリスマス』は絵も文もクーニーによる。ノンフィクション絵本と分類されるようだが、クリスマスの起源や、キリスト教以前のヨーロッパの冬のお祭り、アメリカのサンタクロースなど、クリスマスにまつわる出来事を、文と絵で解説した絵本だ。
 なんといってもクーニーの絵本は、すぐにクーニーとわかる、個性の強い絵が特徴だ。一見、人物などは単純な絵に見えるのだが、周辺を実に細かく描き込んでいる。この本でも、イエスを抱いたマリアを運ぶロバとか、雪の森の中の白馬に乗ったニコラウスとか、驚くほど丁寧に描かれていて見れば見るほど引き込まれてしまう。版画のような味わいの絵で、色遣いも少ないが、多分、特色を重ね刷りだしているのだろう、赤や緑が素晴らしく美しく発色している。
 絵はもちろんなのだが、この本では、クーニーの文の良さにも触れることができた。残念ながら、原書の英語での良さはわからないのだけど、子どもむけに、とてもわかりやすい日本語で書かれている。複雑な宗教や政治や地理などの知識がなくても、すっと頭に入ってくる、邦訳だった。
 そして何より、最後のページに描かれている、小さなイエスのなんと可愛らしいこと!

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 年末ということで、毎日更新を心がけても、なかなか思うようにいきませんでした。本の画像だけしかない日が続いて……毎日、楽しみにしてくださっていた方、ごめんなさい。ご紹介しきれなかった本もまだまだたくさんありますから、これからも毎年続けられたらと思います。
 それから、昨年のクリスマス本特集や、このブログなどで、「詳しくは次のクリスマス本特集で……」と書いたまま、詳細を紹介できなかった本が何冊かあります。今年の流れに乗り損なった本だったり、いまだに読んでいなかったり……。ごめんなさい。
 今年の特集は、今後、見直して、誤字脱字を訂正したり、文の細くをしていこうと思いますので、その機会に、これらの本については、書き加えていこうと思っています。
 こんな手抜きの特集でしたが、訪ねてきてくださった皆さま、ありがとうございました。
 いつも“おさびし山”の「本を旅する」ですが、12月はいつもより多くの方々にアクセスしていただき、とても嬉しかったです!

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ナイト・ビフォー・クリスマス

 クリスマスイブ、つまり「The Night Before Christmas」。このクレメント・ムーアの有名な詩「クリスマスの前の晩」については、昨年にも紹介したが、今年は2冊の「飛び出す絵本」ポップアップブックを紹介しよう。なんといっても、“見栄え”がする派手な作りなので、書店のクリスマスフェアなどで一番目立つところに置いてある本でもあるから、ご存じの方も多いかもしれない。

Nightbeforxmas “ポップアップブック”といえば、なんといってもロバート・サブダの作品が有名だ。クリスマス関係の本は『クリスマスの12日』や『Winter's Tale: An Original Pop-up Journey 』などもあるが、今日の日にふさわしく、『ナイト・ビフォー・クリスマス』を。
 サブダのようなポップアップアーティストは、「紙の魔術師」とか「ペーパーエンジニア」とか称されているが、まさに魔術師でエンジニア。ページを捲るたびに信じられないような“技”が披露されていく。ストーリーは知っているから、一応、次はこんな感じかなと想像はするのだけど、そんな素人の思いつきなど嘲笑うがごとく、立体的な仕掛けが施されていて、しかもそれが紙だけでできているという驚き!

 実は、子どもの時は「飛び出す絵本」が嫌いだった。お話を何回も反芻しながら、ずんずんと絵の中の世界に飛び込んでいくのが大好きな子供だったのだが、「飛び出す絵本」には“飛び込む”ことができないのだ。「飛び出す絵本」は仕掛けの技のみ強調していて、絵本の本質であるお話や絵の素晴らしさを、蔑ろにしているように感じていた。「飛び出す絵本」はなんとなくインチキ臭く、安っぽく、バカっぽくて嫌いだった。
 思えば、そんなふうに嫌っていたのは、言葉どおり子供だましの「飛び出す絵本」しか知らなかったからだ。
 だから、サブダの作品を初めて見たときは驚いた。本当に紙だけで出来ているの? 何か仕掛けがあるんじゃない(いや、仕掛け絵本そのものなんですが……)? その高度な技術と芸術性に、いやはや驚いた。まさにアートです。子どもの時にこんなに素晴らしい「飛び出す絵本」を見ていたら、私の絵本の好みもかなり違ったものになったはず。それにきっと、自分でも作るに違いない。冬休み中、紙と鋏と糊を炬燵の上に並べてポップアーティスト気取りでいる自分が目に浮かぶ。今の子どもは小さいときからこういう良質な「飛び出す絵本」を見ているのだから、これからは第2、第3のサブダも続々と現れるだろう。

 でもね、ちょっと子どもにプレゼントするのは難しいかもしれません。だって、ぜったいに本を“分解”したくなるだろうし、本としては値段が高いし(技術料込みだからしかたがないけど)、売り切れだし……。子どもにはやはり“本物”を見せた方がよいのか、それともこれは子どもには“贅沢”すぎる本なのか、ちょっと迷ってしまいます。大人? それは問題なし!
 詩は きたむらまさお の訳で、2003年、 大日本絵画より刊行、3,360円(税込)。現在、日本語版は在庫がないようだが、洋書は入手可能なようだ。仕掛けだけを楽しむなら十分だし、有名な詩なので、自分なりに訳してみるのもいいかもしれない。

Maenoban1 2007年11月に刊行された、同じく きたむらまさお の訳で大日本絵画から刊行されている『クリスマスのまえのよる 』は、ニルート・プタピパットによる仕掛け絵本。同じ版元で訳者も同じということは、ロバート・サブダの本を出せない大人の事情があるのだろうか?

 サブダ版が紙の白さを強調してホワイトクリスマスのイメージを出しているのに対して、プタピパット版は切り絵の黒いシルエットが強調された、藤城清治の影絵にも似た、ノスタルジックで繊細な雰囲気。サブダ版がポップなら、こちらはシックでクラシカルなイメージ。仕掛けよりは、切り絵の繊細さや、原作の詩が持つクリスマスの神聖さを味わうことができる。こちらも3,150円(税込)と高価な本なので、大人のプレゼントにしたい。

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しずかなきせき

Sizukanakiseki 『しずかなきせき』の著者は1929年生まれのスイス人、マックス・ボリガー(Max Bolliger)となっているが、いわゆるフランスの「聖母の曲芸師」伝説が底本になっている。私はなんといっても、シュテパン・ザブジェル(Stepan Zavrel、シュチェパーン・ザヴジェルとも)の絵に惹かれて手に取った絵本だ。
 「聖母の曲芸師」伝説については、昨年、トミー・デ・パオラの『神の道化師』やバーバラ・クーニーの『ちいさな曲芸師 バナビー』をとりあげたが、フランスを中心に聖母マリアと旅の曲芸師にちなんだ説話がヨーロッパに流布されていて、アナトール・フランスもこの説話をテーマに短編を書き、オペラにもなっているようだ。多分、ネット古書店で見つけた『聖母の曲芸師 現代仏蘭西短篇集』堀口大学訳、至上社刊がそうだと思うのだが、なんと大正14年の発行だ。国会図書館にあるかなとネット検索したら、ありました。フランス短編文学のアンソロジーで内容細目に「聖母の曲芸師(アナトオル・フランス) 」と。この本のことはまたいつか調べてみたい。
 『しずかなきせき』に話を戻すと、曲芸師という職業は同じだが、主人公は静かな生活に憧れて修道院へやってくる。だが、少年に出来ることは曲芸だけで、修道士たちのように神様に祈りを捧げることもできない。だが、それでよいのだ、無心に自分にできることをやることが、祈りとなる……ヨーロッパの中世のお話なのだが、現代にも通じるお話だ。とってもシンプルでわかりやすく、中世から長い時間を経て伝えられ、現代作家がそれをテーマに何冊もの絵本を創作しているのにも頷ける。

 ザブジェルの絵は版画のような画風だ。クレヨンを何色も使って下塗りし、その上を黒いクレヨンで塗りつぶしてから、削って描く絵画のスクラッチ(削り)技法というが、私は子どもの頃こらこの技法が好きで(描くのも見るのも)、最初にこの絵本の表紙を見たときに、スクラッチ技法だと思って、興味を覚え、手に取ったのだ。その暗く沈み込んだ色合いが、いかにも中世の修道院の雰囲気を出している。
 一番心に残った絵は、祈りの時間に修道院の回廊を修道士たちの列が進んでいく場面で、見開き一杯に描かれた絵に、なんともいえない宗教的な神秘性や気高さを感じた。カトリックの修道士たちだが、仏教の修行僧のようにも見える。祈りという古今東西共通の神聖な行為をえがいているからだろうか。その絵を見た瞬間、わけもなく嗚咽しそうになったのだ。不思議な体験だった。
 ザブジェルはチェコの画家のようだが、あまり情報がない。チェコの絵本は静かなブームとなっているが、他にもザブジェルの絵本があれば、ぜひ見てみたいと思う。

 この絵本はみやはらたおこ の訳で1998年、新世研より刊行していますが、絶版のようなので、図書館や古書店でお探しください。

51sbph4fcgl_ss500_ バーバラ・クーニー の『ちいさな曲芸師バーナビー』については、昨年12月にネット書店で注文したのだが、自宅に届いたのは1月になってからで、詳細を書くことができなかった。書店の店頭では普通に売られていたので、手元にくるまで長い時間が掛かったのは何かの手違いがあったからかもしれないが、クリスマス特集に間に合わせることができず、とても残念だった。
 『ちいさな曲芸師バーナビー』のストーリーは『しずかなきせき』とほぼ同じだが、こちらでは少年は静かな生活に憧れてというより、幼い孤児が放浪の果てに生活が逼迫し、見かねた修道士が修道院へ連れてくる。それ以降はほぼ同じで、修道士たちのように祈ったり働いたりすることのできないバーナビーは、それを嘆き悲しみ、せめて自分に出来る唯一のことをマリア様と小さなイエス様に見ていただこうと、毎日、曲芸をする。そしてクリスマスイブの日、一人、祭壇に向かって曲芸を続けるバーナビーに奇蹟が起こる。

 クーニーはまえがきの「この本について」で、自ら記しているが、「聖母の曲芸師」伝説を底本にした「ノートルダムの小さな曲芸師」という話をクリスマスのラジオで聞いて、これを本にしようと切望し、フランスに渡って取材をしている。パリの兵器廠(へいきしょう)図書館が所蔵している700年前の写本を資料としているが、それにクーニーならではの視点を加えて物語を創っている。
 それだけ力を入れた作品なので、まるで宝石のような美しい本に仕上がっている。文も絵も、どこからチェンバロやリュートなど、古楽の音が聞こえてくるような中世の典雅な雰囲気を伝えている。だが、キリスト教だけのための物語に止まらず、宗派を越えて、より多くの人の心をとらえる、普遍性に富んだ優れた物語となっている。

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クリスマスプレゼントン

 「贈り物」繋がりでもう1冊。11月に紹介したトムズボックスで購入した『クリスマスプレゼントン』。
Prezenton_ 国籍のない魔法の森の住人といわれる、コージズキンことスズキコージ(鈴木康司)が、はじめてかいた絵入り物語。1979年の旺文社刊の復刊で、2003年に ブッキングより刊行。 1,313円(税込)。

 スズキコージが1979年の冬にヨーロッパ旅行をしたときに生まれた物語。雪をかぶった町や森の風景は、青色を効果的に使った本の装幀(1色刷りに青を使っているので、本文の文字の色も挿絵も青。4色刷りの挿絵も青が基本となっている)も功を奏して、極寒のヨーロッパの冬を伝えてくる。

 雪だるまを助けたちびっ子メリーは、“プレゼントン”おじさんやラッパ男と一緒に、トナカイに乗ってサンタクロースに会いに行く。ドラゴン、雪男、巨人の顔をしたサンタクロースの山と、大冒険。リアルな生活感がまるでない、まさにファンタジーそのものといったお話なのに、それが空想の中の出来事ではなく、不思議なリアルさでファンタジーの世界に紛れ込んだような錯覚に陥ってしまうところが、スズキコージの世界。絵と文字だけの世界なのに、まるで映画をみているような感覚になるのだ。そして、どこかにクスッと笑えてしまう、おかしみがある。

例えば、クリスマスの日、おもちゃを子どもたちに配りに出かけるプレゼントンおじさんは、「でかける前に、つくえの上で、せいしんとういつの さかだちを しました。」(本文抜粋)。
 メリーもプレゼントンおじさんの橇に乗っかって、家に帰ります。「メリー・クリスマス」と、声高らかに歌いながら(ヒロインの命名の秘密がやっとわかった!)。
 おじさんやサンタクロースたちは、贈り物を届けたあとは、「山おくの 火山の ふもとの おんせんに つかって、あせを ながしたということです」(本文抜粋)。

 作者はきちんと計算しているはずだが、読者はどこまでも肩を凝らずに、個性的な夢一杯のお話と絵で、クリスマスの魔法を堪能できる。
 

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クリスマスのおくりもの

 本のタイトルというのはとても大切だと思うのだが、クリスマス関係の本、とくに絵本には似たようなタイトルがとても多い。昨日紹介した『くりすますのおくりもの―ロシア民話より 』と同じ、「くりすますのおくりもの」「クリスマスのおくりもの」「クリスマスの贈り物」「クリスマスプレゼント」「聖夜の贈り物」などで検索すると、ヒットの多さに驚いてしまうくらいだ。

Xmasnookurimono_5 そんな中から、タイトルはともかく、内容がとても気に入った絵本が、ジョン・バーニンガム『クリスマスのおくりもの』。長田弘の訳で、1993年にほるぷ出版から刊行、1,835円(税込)。
 1936年、イギリス生まれのバーニンガムは、『ボルカ はねなしガチョウのぼうけん』『ガンピーさんのふなあそび』(いずれも、ほるぷ出版刊)で2度のケイト・グリーナウェイ賞を受賞した、世界的な人気絵本作家。夫人のヘレン・オクセンバリーも著名な絵本作家である。
 クリスマス・イブの夜、世界中の子どもたちに贈り物を届けて、くたびれきって家に帰ってきたおじいさんサンタとトナカイたち。ところが、おじいさんサンタの袋の中には、届け忘れた贈り物が一つ、残っていた。はたしてクリスマスの朝までに、贈り物を届けられるだろうか……。
 絵も文も、実に飄々としていて、面白い。遠いロリー・ポリー山まで贈り物を届けに行かなくてはならないのに、一仕事をし終えたトナカイたちは“ひろいぐい”して病気になってしまった。しかも、おじいさんサンタは寝ようとしていたので、パジャマの上にサンタの赤いコートを着て出かけようとしている! なんとも所帯じみている……「やれやれ」。
 ところが、お話のほうは、思いがけない展開となる。「もうしわけないが手伝ってもらえまいか」と頼まれ、行けるところまで一緒に行こうと、たくさんの人たちが協力し、おじいさんサンタをロリー・ポリー山まで送っていく。でも、乗り物は飛行機、ジープ、バイク、スキーと、どんどんローテクに。ついには、ロッククライマーに頼ることに。ロープにぶら下がり、岩をよじ登り、ひたすらロリー・ポリー山を目指す、おじいさんサンタ。
 ページをめくるたびび、次はどうなるのだろうと、そのぶっとんだ展開ぶりにハラハラドキドキ。おまけに帰り道も大変でした!
 絵と文が巧みにレイアウトされていて、本の余白部分に書かれた文で読ませ、大型本のページ一杯に描き込まれた絵で見せていく。とっても楽しく面白い絵本。子どもと一緒に読んだら、きっと大いに盛り上がるだろう。読み聞かせにぴったりな1冊だ。

21rcrfkrqfl_ss500_ その他に『クリスマスのおくりもの』というタイトルでは、もう1冊、先に出版されている絵本がある。オランダ人のコルネリス・ウイルクスハウス作、ベルギー人のリタ・ヴァン・ビルゼンの絵、高村喜美子の訳で、1978年に講談社から刊行、1,470円(税込)。
 この絵本は、キリストの誕生を祝って、黄金・乳香・没薬を贈った東方の博士たちにヒントを得ている。東方の博士の一人、バルタザール王の息子、イレーヌ王子が、生まれてきた救い主に自分も大切な品を贈ろうと、父の後を追う。真の「贈り物」とは何かと考えさせる物語で、原題は『いちばんすばらしい贈り物』(Das schonste Geschenk)。

512vq765z9l_aa240_ ちょっと意外だったのは、竹久夢二の唯一の童話集『童話集 春 (小学館文庫―新撰クラシックス)』の中に「クリスマスの贈り物」という短編があったことだ。
 夢二は大正時代に「子供之友」で活躍していたし、サンタクロースの扮装をした少年の絵を見た記憶もあるのだが、クリスマスをテーマにした童話があることは、今回、初めて知った。2004年に小学館より文庫で刊行、500円(税込)。
 みっちゃん、かあさん、お隣の二郎さん、そのかあさんが、“サンタクロスのお爺さん(原文まま)”の贈り物について語り合う会話で、物語は進む。延々と続く会話がちょっとうっとうしい気もするのだが、最後の一言で、ニヤリと笑ってしまう。
 贈り物がラッパ一つでも喜ぶ二郎さんと、リボンと鉛筆とナイフを貰ってもまだ足りないと泣き出すみっちゃん……「いくらたくさん贈物があっても、みっちゃんを喜ばせることが出来ないのでした。みっちゃんはいくらでもほしい子でしたから。」(本文抜粋)
 美人画家として名を知られ、女性遍歴でも有名な夢二を思うと、みっちゃんへの痛烈な一言は、子どもというより、女性一般に対して告げたかった一言なのではと、思わずにはいられない。

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しんせつなともだち

 今年のクリスマス特集は、行き当たりばったりの企画なので、当初の予定とはかなり違ったラインナップになってしまった。その時の気分と自分の興味の赴くままに書き連ねているので、ちょっとしつこく繰り返すテーマなどもあるが、まあ、そんなものなのだと、流してください。
 というわけで、今回もしつこく、「うさぎ」です。でも、ビロードではなく、一応、最初から本物のうさぎ(多分……!)。

Sinsetunatomodati_2 村山知義の絵本『しんせつなともだち』は、月刊予約絵本の「こどものとも」に掲載されたものが普及版を経て、1987年にハードカバーで福音館書店から刊行された。840円(税込)。
  現在も書店の棚に並べられているロングセラーの絵本だが、原作は1955年に方 軼羣(ファン イー チュン)が中国で絵本『夢卜回来了』として発表している。これが「こどものとも」の編集者の目に留まり、原作者の名前を入れて、君島久子の訳、村山知義の絵で『しんせつなともだち』としたらしい。。
 いわゆる「ぐるぐるばなし」で、二つのカブを拾ったうさぎが「ゆきが こんなに ふって、とても さむい」から、食べるものがないだろうと、ろばの家にカブを一つ届ける。うさぎ→ろば→こやぎ→こじか→と、自分のことより他者を思いやる優しい心でカブはぐるぐると持ち主が代わり、最後にうさぎのもとにカブが戻ってくる。
 昭和初期のモダニズムが大好きな私は、1920年代から「子供之友」で活躍した武井武雄や岡本帰一、そしてこの村山知義など、童画のパイオニアともいうべき作家たちの大ファン。当時の全貌を知ることができずに残念なのだが、現在でも書店で入手可能なのが、『しんせつなともだち』。村山知義のことを知らずとも、絵本自体の面白さで、惹きつけられる力を持った作品だ。
 雪のイメージやクリスマスカラーといわれる赤や緑が効果的に使われているので、なんとなくクリスマスに関連する絵本だと思っていたのだが、文中にはクリスマスという言葉は一言も出てこなかった。
 それならどうしてこのクリスマス本特集に取り上げたかというと、『くりすますのおくりもの』と関係してくるのだ。

Xmasnookurimono_4 木村由利子の文、松村雅子の絵による『くりすますのおくりもの』は1987年に至光社より刊行されている。1,260円(税込)。グレー、黄色、茶色といった淡い色合いが美しく、特に雪のブルーグレーやニンジンの朱赤の暖かさが、物語のテーマを象徴するような柔らかさを演出している。
 副題に「ロシア民話より」となっているのだが、これが中国人作家のオリジナル作品とされている『しんせつなともだち』とほとんど同じお話なのだ。
 主人公は同じうさぎ。カブはニンジンに替わり、うさぎ→ろば(じゃがいも)→ひつじ(キャベツ)→のろじか(ほしくさ)と、動物と食べ物が若干異なるが、とにかく同じ雪の日の「ぐるぐるばなし」である。
 ただ、こちらには「ゆきがふっていました。きょうは くりすますです。なのに うさぎの いえには たべるものが ありません(本文抜粋)」と、クリスマスというのが明記されている。というまでもなく、タイトルが『くりすますのおくりもの』だけど……。
 方氏は、戦時中に軍隊で実際にあった出来事にヒントを得たと言っているが(松井直『絵本の森へ』1995年日本エディタースクール刊、1,890円(税込))、中国とロシアという物理的な近さを考えると(政治的な問題はあったにせよ、刊行当時は同じ共産圏だったわけだし)、多分、似たような話が代々受け継がれ、DNAとして作家の中に組み込まれていたのかもしれない。
 
 どちらの絵本も、読み物として大変面白く、ストーリーは似ていても、絵の個性はかなり違っているので、それぞれ、今でも読者の支持を得ているのだと思う。
 それにしても、絵本の世界ではいろいろと不思議なことがあるものだ。事実は小説よりも奇なりといったところか……。

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よるくまのクリスマス

 酒井駒子の絵本の中でも、特に人気の高い「よるくま」シリーズ。シリーズといっても2冊だけで、しかも、登場人物は同じ「ぼく」と「よるくま」で、横長の判型もほぼ同じなのだが、版元は異なる。

 Yorukuma_2 『よるくま』は1999年に偕成社から刊行、1,050円(税込)。2007年7月現在で実に53刷となっていることからも、その人気のほどがわかると思う。
 「あのね きのうのよるね、うんとよなかに かわいいこが きたんだよ。(本文抜粋)」と、ままに話しかける「ぼく」。夜のように真っ黒なクマの子は「よるくま」。いなくなてしまったお母さんクマを「ぼく」とふたりで探す、冒険旅行……。
 酒井駒子の絵は黒が印象的と前述したが、それはこの本の印象からかもしれない。真っ暗な夜の中を、夜のように真っ黒な「よるくま」と旅する物語には、黒色がふんだんに使われている。お母さんを思って「よるくま」が流す涙さえも“まっくら まっくろ”だ。それなのに、暗い夜を明るい星が照らすように、この絵本には暗い雰囲気が少しもない。
 夜、目を覚ましたらお母さんがいないなんて……、真っ暗な夜道をお母さんを捜して歩き回るなんて……、そんな悲惨な状況にもかかわらず、そこに溢れているのは、「よるくま」の愛らしさとか、「よるくま」親子の確かな情愛。そしてそれをママにお話してあげる「ぼく」が象徴する、幸せな子どもの「時」。
 いや、理屈なんていらない。とにかく、「よるくま」が可愛らしくて、そんな「よるくま」が可愛いと言う「ぼく」がまた可愛くて……可愛いの連鎖で出来ているような、幸せな絵本です。

Yorukumaxmas_2 『よるくま クリスマスのまえのよる』は、2000年に白泉社から刊行、1,050円(税込)。ママにいっぱい叱られた悪い子の「ぼく」は、クリスマスにサンタさんがきてくれるかどうか、心配で眠れない。そんな「ぼく」のところに「よるくま」がやってくる。前作『よるくま』と同じように、ふたりで夜の中を飛び回る。今度は、クリスマスツリーに飾られていた小さな飛行機に乗って。
 クリスマスというテーマがあるためか、画面はやはり黒色が基調なのだが、前作よりずっとカラフルになって、クリスマスカラーの赤や緑が印象的だ。
 ストーリーは前作と同じようなパターンなのだが、クリスマスという優しさのスパイスが添えられているからだろうか、終盤、「もう しんぱい なんか しないでね」というところでは、思いがけず、涙が溢れてしまった。

512dppf09hl_aa240_ 人の一生は、子どもの頃の幸福だった記憶に支えられるというけれど、本当にそうだと気づかせてくれる1冊だ。2000年に文溪堂から刊行された『ぼく おかあさんのこと…』1,575円(税込)ともども、もしかしたら、子どもへのクリスマスプレゼントというより、子育て中のお母さんへのプレゼントにしたい本かもしれない。

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ビロードうさぎ・その3

Usagikomako_2 洋書の『Velveteen Rabbit』は数多くの版が出版されているが、国内では、今年、酒井駒子の絵と抄訳によって『ビロードのうさぎ』がブロンズ新社より刊行され、高い人気を得ている。1,575円(税込)。
 酒井駒子は好きな絵本作家の一人だ。最初に『金曜日の砂糖ちゃん』を手に取ったときは、外国の作家が描いているのだと思った。ところが日本人で、しかも駒子さんという古風な名前。愛らしく儚げで繊細な絵と、詩のような「お話」がなんともいえないエキゾチックな作品を生み出していた。黒色の使い方が印象的な作家で、人物は外国人風なのだが、特に少年の絵は秀逸。酒井版『ビロードのうさぎ』が洋書の『Velveteen Rabbit』たちと並んで外国の書店に置かれていても、なんの違和感もないだろう。
 抄訳のためお話の分量が少なくなっているが、その分、絵がたくさん描かれており、読み物として優れた石井版と比べて、絵でうさぎを語る「絵本」だ。読み物としての物足りなさはあるが、絵がそれを十分に補っている。
 タイトルのビロードとうさぎの間に「の」が入っているのが、翻訳までこなした著者のこだわりか。うさぎの耳の描写は「ピンクサテンの耳」、本物のウサギにしてくれるのは「子どもべやの、ようせい」となっている。ラストは、石井版とは異なる解釈になっており、なんとなく字足らずといった感もある。
 装幀は坂川事務所、本文組は籾山真之(snug.)。上品で美しく、かつ温かみがあり、しかも売り場に置いてしっかり自己主張できる、素敵な絵本に仕上げてある。

 国内で出版されているのは、他に2冊。偶然か、2冊ともタイトルに「〜の涙」が付いている。これも先達との差違をつけるためのこだわりだったのかもしれないが、かえって後発組の印象が強くなってしまったような気がする。

Namida 谷口由美子の文と吉永純子の絵で、1981年に文研出版より刊行されたのが『ビロードうさぎのなみだ』、1,260円(税込)。
 本のサイズがB5変型判のほぼ正方形で、石井版の岩波の子どもの本のイメージを踏襲しているかのようだが、挿絵も豊富で文字がかなり大きく、72ページもある。しっかりとしたハードカバーの本で、9〜10歳の小学校の中学年を読者対象としているようだ。吉永の絵は、いかにも小学生が好みそうな、まるまるとした可愛らしいうさぎだ。

Usagieriko 『ベルベットうさぎのなみだ』は2004年に成沢栄里子の訳で BL出版から刊行。1,365円(税込)。
 この絵本は、2002年にルー・ファンチャー(Lou Fancher )が小さな子どものために翻案し、スティーブ・ジョンソン (Steve Johnson )が絵を担当した『The Velveteen Rabbit』が原著となっている。ファンチャーは、マージェリイ・ウィリアムスを“古典”としてとらえていたようだ。見開きで明るい色調の絵と短い文が組み合わされていて、国内では“絵本"として最初の「ビロードうさぎ」になるだろう。

 いかにもイギリス人好みの洒脱なウィリアム・ニコルソンのうさぎやは、親子2代、3代にわたって読み継がれる家庭版。大人好みの密やかな甘さを含んだ酒井駒子のうさぎは、若い女性へのクリスマスプレゼントとしても喜ばれるだろう。子どもたちが喜ぶのは、スティーブ・ジョンソンや吉永純子のうさぎ。贈る相手によっていろいろな「ビロードうさぎ」を選べるのも嬉しい。
 今年のクリスマスにもたくさんの“ぼうや”たちがそれぞれの“ビロードうさぎ”をプレゼントされることだろう。そのどれもが、本物になれるよう、心から祈らずにはいられない。

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ビロードうさぎ・その2

Usagimomoko_2 2002年に童話館から出版された『ビロードうさぎ』は、「いしいももこ」の名前で新訳に挑み、絵は高野三三男からウィリアム・ニコル