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2008/09/23

長岡京跡

Daigokuden 光明寺を案内していただいた後、午後1時半からボランティアグループの総会と、その後、本のための対談があるので、著者はその準備に行くことに。
 私はそれまでの3時間を書店巡りで使おうと、市内の書店の住所を調べ、地図も用意し、準備万端だったのだが、著者はここまできたのだから、せひ、長岡京の大極殿跡を見に行くようにと、阪急の長岡天神駅まで送ってくれる。う〜ん、本屋に行きたいのだけど……でも、せっかく勧めてくださるのだがら行ってみようということで、ちょうど電車が入ってきたので、あわててホームへ。ここで方向感覚が狂う。大極殿跡は長岡天神駅の隣の「西向日駅」にあるのだが、これが京都寄りなのか大阪寄りなのかわからなくなり、とにかく、えいやっと、乗ってしまった。そしたら……そうです、見事に間違えました。しかも、快速みたいで、次の停車駅は高槻!はふ〜。
 高槻で降りて反対側のホームに移動し、京都行きの各駅停車に乗って、「西向日駅」へ。あまり時間がないというのに、30分以上のロス。今まで方向音痴ではないと大いばりだったのに、あっけなく自信喪失。
Daigokutenn3 「西向日駅」はものすごく小さな駅で、ここに本当に都があったの???と、半信半疑。観光客の姿は皆無で、駅前にある周辺地図もかなりアバウト。とにかく地図の通り進んでいくが、まったく普通の住宅街。平城京と平安京の間、確かに784-794年までの10年間は日本の中心地だったというのに、その面影はまるでない。
 朝から降っていた雨も上がって、気温はぐんぐん上昇。まさかこんなことになるとは思っていなかったので、日焼け止めクリームも日傘も帽子もなしで、住宅地を徘徊。やっとたどりついたのが、写真上の大極殿跡。今は公園になっていました。
Daigokuten2_3 2番目の写真は昭和39年に大極殿跡が発掘されたときの記念の石碑。3番目の写真は大極殿の前庭に建てられていた宝幢(ほうどう)を復元したもの。ここに元日朝賀の際、7本ののぼり旗、つまり宝幢が立てられたらしいのだが、私の貧弱な想像力は発揮もかなわず……だって、公園のすぐ脇には民家が建てられていて、本当にごくごく普通の公園にしか見えない。宝幢もアスレチックの遊具に見えてしまう。
 長岡京からあわただしく平安京へ遷都された影には早良親王、怨霊、祟りと、恐ろしい文字が連なるので、あれやこれやで長岡京の10年は歴史の上から忘れ去られたような状態なのかも。それでも公園名を刻んだ碑は、奈良の古寺と同じく鴟尾(しび)の形をしていたりして、確かにここが日本の政治文化の中心だったことを静かに主張していた。
Shibi 他には何も見る物がなく、資料やお土産を購入するお店もなかったので、ぱちりぱちりと写真を撮って、そのまま西向日駅へ戻る。するとまた運良く電車が来たので、こんどこそ間違えずにお隣の長岡天神駅へ戻ろうとしたら、やっぱり祟りじゃ〜、反対の京都行きに乗ってしまい、東向日駅で下車。かなりの時間のロスに慌てました。あまりに慌てたのか、やっと長岡天神駅に戻れたときは、朝、降りたJRの長岡京駅と勘違いし、「朝と全然違う駅になっている!」と、呆然。しばらくぼぉーとした後、やっと阪急とJRとを勘違いしたことに気がついた次第。
 これは祟りと言うより、たんなるボケ???

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